インドネシアの文化、歴史

スカルノ大統領が居なければ日本の石油プラント技術は無かった!インドネシアと日本の深い歴史

日本へ一時帰国中、外国人記者クラブにお邪魔して、そこで昼食をご一緒させていただいたとある方に、第二次世界大戦も終わりかけていた時のインドネシアとスカルノ大統領とかかわりがあった方から、日本の意外なお話を伺うことが出来ました。

とっても面白いお話だったので、インドネシアに住む方々にシェアしてもいいかきいたところ、許可をいただくことができたのでこの度ブログにまとめます。

歴史好きの方、インドネシアに興味のある方、デヴィ夫人のファンは是非読んでいってください!

日本の石油の歴史をおさらい

石油の最新技術は、第二次世界大戦当時日本にはありませんでした。どこが持っていたかというと、列強国。ユダヤ系のロスチャイルド家が所有していたロイヤルダッチシェルや、アメリカのエクソンモービルなどでした。(どちらも当時は名前が違いましたが、現在の名前で呼んでいます。)

第二次世界大戦勃発後、日本の海外膨張政策に対抗して欧米諸国は日本への石油の輸出禁止に踏み切りました。そして日本は石油資源の確保が緊急課題となっていました。

それから日本は石油関係者5,000名あまりを徴用し、ボルネオ・スマトラ・ジャワ・ビルマなど南方へ石油を求め、結果的にバリクパパン(都市移転をする予定のカリマンタン島にある)のロイヤルダッチシェルの石油プラントを奪取することに成功しました。

この際石油関係者1、600人が犠牲となり、新潟の弥彦神社に彼らの追悼碑があります。

バリクパパンのシェル製油所の図書室には石油の精製技術の全てが書かれたシェル・スタンダードという書類がズラーっと並んでいました。 直ぐに日本の爆撃機に乗せて日本に運び、戦争が始まって間もない頃でしたが、日本国内の全ての製油所を最新鋭型に切り替えるというような事が行われました。

その際に得たロイヤルダッチシェルの基準で現在も日本の石油開発が行われているため、オイルエンジニアリングで使っているJISは現在でも全てオランダ基準のものなのです。

これだけでも面白い話だなと思いましたが、でもどうやってシェルのプラントを現状維持のままで奪取できたのでしょうか?

ロイヤルダッチシェルの石油プラントを保守をしていたインドネシア人

以下、その方から聞いたお話の引用

『バリクパパンには2つの製油所があり、一つはエクソンモービルの物、もう一つがシェルの製油所でした。 エクソンは逃げる際に製油所の施設を全て爆破してから逃げました。 シェルもそうする筈でしたが、外国人が逃げた後、インドネシア人の製油所員達は日本軍の到着を待っていてくれました。

シェル製油所の日本贔屓のインドネシア人事務長のお陰です。 そのインドネシア人事務長に、T社長は現地にいる間、製油所とはどういう物か、経営や契約とは何かという知識を伝授しました。

それから数十年後、私がT社長付を務めている頃に、その事務長から手紙が届きました。 手紙には、当時のお礼がしたいので、是非インドネシアに来て欲しい。 どんな仕事でもあなたの会社に発注しましょう、と書いてありました。 しかし、何故かT社長は、どうしてもインドネシアには行かないと言い張り、我々にも絶対行ってはいけないと厳命したのであります。

種明かしをすると、その時の手紙の差出人はスカルノ大統領でした。 T社長は、スカルノに製油所の何たるかを教え必死に育てた人物だったのです。』

なぜT社長がそんなにインドネシアへ行ってはいけないと言い張ったのか、腹心である方にもわからなかった真意が気になりますね…

デヴィ夫人とも親交が深い方からの言葉

今回お話を聞かせてくださった方はデヴィ夫人とも親交が深く、色々面白いお話を聞かせてくださいました。また機会があり許可をいただければそれについても書きたいです。

そして、どうして私たち(夫と一緒だった)のような何のとりえもない人と合ってくださっているのか謎なんですが、そのかた曰く、

そのお方
そのお方
『社長ってのはな、友達がいなくなったらおしまいなんだよ。人とのつながりを大事にすることだ。今回こうして、〇〇とつながりが出来ただろ。今は何もなくても、30年、40年後に、そういやあんなことしてるやつがいたな、って仕事でつながっていけばいいんだよ。』
そのお方
そのお方
『だからな、夫が飲み会でいないっていうのも、ある程度仕方ない事だから許してやってくれよ。』

と含蓄のあるお言葉をいただきました。先ほどのスカルノ大統領の話を聞いていた後だったので、もう、ハイ、ワカリマシタ。ドウゾ好きなだけ飲み会へ行ってください。

英語の詫状で気を付けるべきこと

その方から、もう一つアドバイスをいただきました。

そのお方
そのお方
ご免なさいという手紙を書く時は、必ず三人称を使うこと。 I am sorryだとか、I とかWe とかを一切使わずに、It is  indeed regretfulというように三人称の言い回しにすべきです。 こうしておくと、相手の顧問弁護士が出て来ても、これは It is だ、not me だと言い訳が出来るのであります。 日本郵船の詫び状は、全て三人称で書かれています。 決してIとかWeとか書きません。 実は昔これを日本の手紙でも実践していたら、東亜燃料の技術部長から「お前は全然謝っていない・・・」とお目玉を頂戴したこともありますが、こうしたことを勉強することは重要だと思います。 謝っているようで尻尾を掴ませないという文章を書くのが上手いのはイギリス人、そしてインド人であります。 彼らの手紙には十分注意をするように致しましょう。

そのお方の話を聞くと、まるで昔の英雄のおとぎ話を聞いているかのように痛快で格好いいのですが、ものすごくトークがお上手なうえに、こういう細かい気遣いや外国人への理解があるからなぜる技なんですね。

おまけ:FCCJのリニューアル後はこんなかんじでした!外国人記者クラブ

なんかこういう記者会見とかもやっているところでレストランがあり、一回は洋食、二階はお寿司屋になっています。

リニューアル後のJCCFへ来たのは初めて。丸の内にあるオフィスビルのエレベーターがまるまる専用のエレベーターで、中に入ると過去に訪れた要人の写真がずらーっと並んでいました。

古いものから新しいもの…政治家からマスコットキャラクターまで!

http://www.fccj.or.jp/

 

ABOUT ME
tonaritori
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2018年9月~仕事の都合で家族4人でジャカルタで楽しく暮らしています。愛用のカメラはNIKONのD3400です。 趣味は漫画を読むこと、絵を描くこと、筋トレをすること、料理をすること、食べること、ブログを書くこと。 コーヒーが大好き。