ジャカルタに駐在してきて気が付けば半年たちました。
諸先輩方のブログを見ていると、いろいろなお店に挑戦したり、パサールでオーダーしていたりして凄いなぁ!と尊敬のまなざしで見ずにはいられません。
でも最初から皆さんインドネシア語がペラペラだったり、いろいろできたわけではないはず…色々最初は苦労されて、今があるはず…と思うのです。
今は殆ど大したことは出来ない私ですが、半年ごとに出来たことを書いていったら、結構自分の成長が確認できるんじゃないかなぁ。
そう思って、自分の成長記録として半年を振り返ろうと思います。
- コミュ障で人見知り
- ジャカルタに知り合いは居ない
- ジャカルタに来るのも初めて
- インドネシア語 want (mau)とナシゴレンという単語だけ知っている
いわばレベル1の冒険を始める前の勇者の状態。
装備品は「ぬののふく」と「きのぼう」。
Contents
1か月目 メンチ切られて外出恐怖症
帯同して一か月目はホテルで滞在。ホテル内のプレイグラウンドで出会った方々は皆さん同じ年頃の子供を連れていたこともあって優しかったです。
その点はとてもよかったのですが、テレコムセル(インドネシアの通信会社)で通話SIMを主人と買いに行った時、2人ともインドネシア語が全く分からないため、要求がうまく伝わらず、店員さんにメンチを切られました。
え、ちょ、こわい。インドネシア人めっちゃ怖い。
それから外出するのが怖くてプレイグラウンドと部屋との往復だけのほぼ引きこもりで過ごしていました。
さらにインドネシアの洗礼、OPP(おなかぴーぴー)に襲われました。
これはきっとインドネシアで亡くなった日本兵が挨拶をしに来ないから怒っているに違いないという錯覚に陥り、カリバタ英雄墓地にお墓参りに行きました。
カリバタ英雄墓地とは
インドネシアの独立のために戦い、そのままインドネシアで亡くなった日本人の方がここに埋葬されています。2017年、最近に亡くなった方もいて、大変な時代を生きてこられたのに長生きをされたなぁ、どんな人生だったのかお話を聞いてみたかったなぁとお墓参りをして思いました。これはこれでとても素晴らしいところだったので駐在された方は是非一度訪れてみてください。
とはいえ、ホテルなので、朝食は食べきれない量を作ってサーブしてくれ、昼食は食べなくて済んだし、アザーンも聞こえないし、主人は会社から近いし、今思えばかなり快適に過ごしていました。
アザーンとは
イスラム教の一日5回のお祈りの時間をお知らせする放送です。とても大きな音で朝4時ごろから始まります。
2か月目 『マダム、これじゃ何も買えません』
やっとこさ住まいが見つかり、引っ越し完了。と同時にメイドさんを雇い始めました。
まず住み始めたマンションはアザーンの音が凄く煩くて、住んでみてとてもビックリしました。前のホテルは向きが良かったのか、ビジネスとホテル街のど真ん中だったからか全然アザーンは聞かなかったのに…。
さらに、例の変な虫との戦いが。インドネシアは何と恐ろしい場所だろうと、恐怖で震えました。
しかし、娘のプレスクール探しのため、外出恐怖症は克服。電話をかけまくって最初の2週間はトライアル三昧。怒涛のうちに申し込みを終えました。
このように、引っ越してから一か月は外出をせざるを得ず、あっという間に過ぎました。
ところで、買い物に行けるようになったものの、お金の桁にまだ慣れず、メイドさんにパサールに買い物に行ってもらった時、30万ルピア渡すつもりが3万ルピア(240円)しか渡さず『マダム、これじゃ何も買えません…』と言われたことがありました。
そういわれても、まだよくわかってなくて、8万ルピア(640円)渡して買い物に出し。それでもひき肉とか野菜とかマンゴーとか、いろいろ買ってきてくました。
あとで間違いに気が付いて情けないやら恥ずかしいやらで、謝りました。メイドさんは笑いながらティダアパアパ~と言ってくれて、本当にいい人が来てくれてよかった…と思いました。いわば冒険の仲間が一人増えたような安心感が沸きました。
3か月目 『Go-Foodで腹痛事件』
娘が午前中は学校へ行ってくれるようになったので、買い物に少し自由に行けるようになってきました。
近所のスーパーをいろいろ回ってみて、臭くないお肉をうっているお店、新鮮な野菜が売っているお店など、お店の特色をいろいろ把握できるようになってきました。
さらにGOJEK、GOFOOD(日本で言うUberEat的なもの)、トコペディア(楽天オンラインショッピング的なもの)を使いだしてかなり生活が楽になってきました。
しかし一回GOFOODでバーガーを頼んだら、届くまで1時間かかり、それがいけなかったのかそのハンバーガーを食べた後に謎の腹痛に襲われました。それ以来GOFOODは頼んでいません。
GOFOODのかわりに、息子が良く下痢になり、検便を病院へ送るためにGO-SENDを使うようになりました。
検便は出てから2時間以内に届けなくてはいけないのですが、車がない時自分で届けなくていいから、すごく便利です。
また、英語とインドネシア語を週に一回習い始めました。
そのぶん忙しいのがひと段落して、ホテル住まいの時に出会ったママたちが懐かしくなりました。
今のマンションにすむ方々とは、まだ友達は出来ない…主人に誰か友達を紹介してあげようか?と心配される始末でした。
4か月目 『ナースポテチ事件』
先月に引き続き、謎の腹痛に襲われました。気を付けていたはずなのに、どうしておなかが痛くなる。日系のタケノコクリニックに行き、バクテリアがいるから、と抗生物質と点滴を打ってもらいました。
しかし一週間たっても腹痛とけだるさが続くため、セカンドオピニオンで深夜にインターナショナルSOSクリニックへ突撃しました。
深夜は英語しか通じず震えましたが、点滴を打ってもらって、検便をしてもらって、バクテリアはもういなくなってるから、ただの脱水だね、水をたくさんとってね。と言われました。点滴で3時間くらいベッドで寝ていたのですが、
その間、
病室のカーテンの向こうから
バリ!!(袋を開ける音)
むしゃ・・
ポリポリポリ…
という音が病室に響きわたりました。
私は思いました。
「ポテチだ…」
「ナースさん病室でポテチ食べてる!」
病室とナースルームってわかれてないんですね。
普通に夜食を食べているナースさんに、ビックリしました。
さらに、お会計がキャッシュレスじゃなかったので
6ジュタ(5万円弱)請求されココが一番の修羅場でした。
(後日保険適応が確認されたので、返金してもらえました)
語学力については、なんとしてでも意思を伝えなくてはいけない環境が功を奏したのか、言葉が分からなくても察する力、悟り力がつきました。
大便って、stoolって、言うって知らなかったけど、シチュエーションと、ジェスチャーで分かった。
5か月目 『セーブポイント日本』
念願の日本一時帰国…
落ち着く…
日本落ち着く…
日本の清潔さと、言葉が通じるということのありがたさに涙しました。
ですが、せっかく日本にいるのだから、お寿司をおなか一杯食べよう!とお寿司屋さんに行くも、腹痛の連続で胃が小さくなっていて普通に一人前食べて終わってしまいました。切ない。
子供はお外で思い切り遊べてうれしそうでした。
だけど日本の冬って寒いし、すごく乾燥するんですね。雨季の東南アジアから来た者にとってはなかなか過酷な環境でした。手が乾燥でしわしわになりましたし、家族全員が風邪をひきました。
一時帰国のタイミングは考えたほうがよさそう…次回の宿題になりました。
6か月目 『急に入った、やる気スイッチ』
日本で元気と勇気をチャージできたのか、急にいろいろなことにやる気を出しました。
- 同じマンションにいたママをお茶に誘うことに成功。
- 複数家族でバーベキューをすることに成功。
- メイドさんに案内してもらいパサールに行くことに成功。
- 衛生管理の整った場所になら子供を二人連れて出かけられるようになった。
- レストランや買い物などの決まった言葉しか使わない場面でなら、インドネシア語で会話ができるようになった
なんと、いままでできなかったことを急に5つも出来るようになっていました。
さらにお金をインドネシア語で言われても、なんとなく日本円に換算して感覚がわかるようになってきました。
ジャカルタ生活半年で成長できた点、感じたこと。
コミュ力高い方でしたら、引っ越して速攻でお友達が出来るところですが私は半年かかりました。
まだまだインドネシア語は流ちょうではありませんが、説明しづらいことはあらかじめメモに書いて行ったり、携帯のスクリーンショットにとっておいて絵で説明できるようにするなど、話せないなりの流用をできるようになりました。
なので、一か月目に出会った恐怖のテレコムお姉さんの所にも今は臆さずに行けます。欲しいデータと通話時間を電話番号と一緒にメモに書いて渡すだけです。
そして大事なことは、疲れてきたら日本へ帰ってリフレッシュするということです。自分のホームへ帰って元気をつけてからジャカルタへ戻ったら、色々なことがすんなりできるようになりました。
今後の展望、目標
今後半年の目標は一人でインドネシア語しか通じないローカルのお店に行くことです。パサールに一人で行くことができたら良いなぁと思いつつ、下の子供を置いていけないのでまだ実行しておりません。
下の子供が学校に通い始めてくれたら、私も語学学校へ通ってみたいなぁ、とも思っています。日常生活が困らない最低限のインドネシア語を覚えてからは、勉強するモチベーションが保てず、どうやって今後も継続的に勉強していくのかが今後の課題。語学友達、欲しいです。